2025年03月20日

春の枷

言葉もまやかしであると、宣言しているテレビの中での孤独、理不尽な結末に降り注ぐ怨嗟の雨、愛されたいと願うばかりでは、その場にある愛は遠ざかるばかりであるし、与えられたもののほとんどが、デタラメで、愚かなものばかりであるし、加算されるものや、参画するものが、そこかしこでのさばり、過信ばかりを生み出し、今を踏み台にして、制圧されるものに屈したり、攪拌されるだけの日常で、遠隔操作されたり、支離滅裂な思いが、空白を埋めるために、絶えず襲いかかる答えを模倣し、良い子を演じたり、独善的なものが謳う正義が、悪意を木霊させ、更なる苦しみを市民に与えるだけの衆愚政治の波形、延命する毎日から飛び出すために、縋るだけの答えを破棄し、集約される問題や、即席の理由に拘泥するほどに、苦しむ意識の吐血、平行宇宙を駆逐する大きな口を開けたブラックホールに吸い込まれ、重力や磁場に住まう虫や、体制的なものを孕んだデジタルの妻たちや、大気圏を突く思いの仮数、ビジネスライクな笑顔の先では、情報の蜘蛛の巣に捕まり、逃げられなくなった蟷螂の気分で、艶然とした主観に住まう悪意のようなものや、もたらされる憎しみの道具として、恒常的な結末や、報いを受けるべきなどと、うるさく付き纏い、改善されない現在から解放され、崩壊してゆくだけの文明から乖離し、理解なんかを求めては、手懐けられるだけの毎日や、間違いなんかを改めずに、ただ、批判的に求められる答えや、退嬰的な者が謳うことごとくに手懐けられ、健気なほどに、毒されてゆく毎日や、舞い込む幸せのほとんどが、ドラスティックなものを生み出し、奪い合うだけの日々のいびつさに気付いた頃には、孤独感は増してゆき、徒に消費して来た日々を翻し、自らの思いのままに進む無数の道がひとつになり、ひたすらに突き進む。

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posted by mmj at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 獅子の思想。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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