2025年12月04日

体験

藝術的な者たちが孕むランダムな子供たる作品たち、逍遥し続けるシステムの中で補完されるまばらな言葉や、堅実さを謳いながら、掌握されるだけの、悪趣味な現前が生み出す原因や、正気すらも失った喪失感により、垂涎する君の帰宅途中に降り注ぐ大雨みたいな悲しみにもたつき、モラルなんかを引き延ばす大人たちを信じずに、突き進む思春期の子供たち、あどけない日常を虐げるだけの、堕落した感情が、フラクタルになって、ふくよかな日常に抱擁され、その場でのしあわせを汎用して、蔓延る憎しみが沁み入る退屈な日常や、過激な憂鬱が孕んだにこやかな朝、胡散臭いリビドーにより、加速していく一切の波形や、経過していくほどに、増していく憎しみの数々や、条件の最中を彷徨い歩く君たちの優劣、物事の対義語や、独善的な詩の襞、夜風に敷衍していく孤独な演奏家たち、休日を弄るシンフォニーや、肉欲ばかりの家族間の戦争、悪魔みたいな母親からの呪詛や、ジャスコのような魔界で、ひらめきを携わって、バルコニーで蹲る少年期から、ファシズムから飛び出した青年期、黄昏れる壮年期から、荘厳な老年期、拙い永劫の矛先につかまる孤立していた青年期の自分との邂逅、後悔すら無かったはずなのに、今見ると可愛らしい自分を厭う事もしないで、狼狽えてばかりいるし、苛立だつ自分との邂逅ほど、苛立つものは無いよね、と憤慨する他者から見れば、単なる老害の自分を、傍観者のフリをして、見つめる現在に、改心なんてものは、存在せず、ただ、あるのは、金に変わるために、今を演じ、ただ、ひたすらにぞんざいな金のシステムの虜になり、今を演じ切るのが、正しいもののように語られる間に、ひたすらに、たかられてしまうような結末を睨みつける瞼。

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posted by mmj at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 獅子の思想。 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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